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デール・カーネギー・アーカイブ

デール・カーネギー・コースを初めて日本に広めた望月 幸長氏コレクション
 
「昭和の寺子屋といわれて10余年 真の能力開発を求めて~ひたすら人間信頼の道を歩む~」
(株)ジャパン・インスティチュート 代表取締役社長 望月 幸長
「マネジメントガイド」 昭和50年1月1日号
 
 
◇◇驚異の本といわれる人を動かす』◇◇
デール・カーネギー・コースは、成人教育と人間関係の権威者、故デール・カーネギー氏によって一九一ニ年ニューヨークで効果的な話し方教室とし て始められた。それから四二年後の一九三六年、コースの第六講「友を得るには」の受講生の話を集約、テキストの一部としてまとめあげたのがHow to Win Friends and Influence People『人を動かす』である。この本を語らずして、カーネギー・コースを語ることはできない。日本でも第二次大戦前、創元社から翻訳出版され、最近 は年間一〇万冊以上売れ続ける奇蹟的な本となり、「結婚や昇進祝には必ずこの本を贈る」とか、受講生が一〇〇冊、二〇〇冊と買って社員に配ったとか、貸し たら絶対にもどってこない本、世界中の老若男女、子どもの心までをとらえてしまう本といわれている。五〇数ヵ国語に訳され、聖書に次ぐ世界のベストセラー となった秘訣は何か?――それはすべての人間に共通した心の底からあふれる人間関係の体験談、人生のひとこまが綴られているからである。真にカーネギー・ コースの卒業生であるならば、人を動かすのはまず自分が動かねばならないことを体得し、他人のため、社会のために役立つ人間になることへの生きがいと喜び を感じるようになることである。カーネギー哲学が単なるアメリカ的なものでなく、世界中どこでも受けいれられている
ことの確証として、私は当コース日本開設の大きな責任を引受ける決心を固めたのは、今から一一年前、一九六三年であった。
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◇◇デール・カーネギーとの出会い◇◇
カーネギー氏の協力者であったL・トーマス氏は、原書『人を動かす』の前書きで、デールの幼い頃から壮年期にかけての様子を次のようにふれている。
 
劣等感から立ちあがったカーネギー
「彼はミズリー州の農家の赤貧洗うがごとき困窮生活の中で少年時代を送った。学校にいるときでも、友だちの誰よりもいちばん貧しい少年であるという屈辱感をじっとこらえていたのである。ミズリー州立大学に入った彼が、自動車を買ってもらえず、馬で通学したり、小柄なためフットボールのメンバーにも入れてもらえなかった劣等感を克服したのは、教育熱心で賢明な母親の忠告で大学の弁論部に入り、スピーチ・コンテストで優勝してからであった。その後、セールスマン等をやってみた後、彼は実際に役に立つ夜間の成人教室を開こうと決心した」。「夜の成人教室でいったいどんなことを教えたらよいのかいろいろ考えました。教育大学時代に受けた教育の内容をふり返り検討してみたのですが、結局多数の人を相手にしていた頃の教訓と経験が、学校で学んだどんなことよりも仕事の上で実際に役立ったことを知りました。なぜかというと、そういうものが私の小心と自信のなさを拭いとってくれたうえ、人を扱う勇気と自信を与えてくれたからです。たとえば、さっと立ち上って自分の思っていることを堂々と言える者が、何時でもリーダーシップを握るのだということがわかってきました」。ともかく、二四歳の彼は、スピーチの講座を始めたのである。私たちは一対一では気楽におしゃべりができるのに、どうして多勢の前に立つと膝がふるえ、のどはからからになってしまうのだろうか。カーネギーはすぐにそれは外面的なゼスチュアとか、声の出し方、はっきりした発言の仕方などのテクニック以前の問題であることに気づいた。もっと内面的な精神状態、誰でもが持っている劣等感、恐怖心、体裁が悪いなどの消極的な自意識を退治しない限り、心を開いて本当に相手の胸を打つ話はできない。それ以来、コースはスピーチ講座ではなく、劣等感と恐怖心をとり除き自信と勇気を湧かすことによって、今までより積極的で創造性のある人間に成長させる講座として、大きく発展していった。彼は「われわれが教えていることは、説得力のある話をすることであって雄弁家になることではない」と言っている。その頃のアメリカの産業界は、オートメーション化が進み、人間疎外が問題になりはじめていた頃なので、「人を動かす」の出版に加えて、彼の名声は爆発的にアメリカ全土、カナダ、英国をはじめ世界にひろまっていったのである。
 
カーネギーの人柄にふれる
一九三九年、カーネギーは出版記念をかね、更にあらゆる資料を世界中から集めるため外遊の途中、日本にも立ち寄られた。当時二一歳だった私は慶応義塾の恩師、イーストレーキ先生から推薦されて京都、奈良、日光を通訳としてお供をしたことが、カーネギーとの出会いであった。日米関係の雲行きが怪しくなり初めた頃で、外人とあまり話をしたこともなかった私は、不十分な英語で、本当に話が通じるのかたいヘん悩んだものですが、先生はひとつもけなさず、一生懸命聞いて下さいました。そして先生と行を伴にするにつれ、先生の陽気で生き生きとした人となり、人間的なあたたかみ、気どらない魅力、大いにユーモア的であった人格に強い印象を受けました。先生はまた、東海道線の窓から外を見るのが非常に気に入られ、日本で一番強い印象を受けたのは、京都でも日光の東照宮でもなく、日本人そのものであると語られ、特に線路の端から端まで、朝早くから夕方遅くまで田畑を耕やす百姓の姿に深い感動を受けたとのことでした。「日本の良さは、アメリカの数倍のすばらしい歴史、伝統、勤勉、貯蓄の精神、清潔さ、辛抱強さ――これらが明治以来日本の教育・経済に、偉大な発展を遂げさせたのであろう」と指摘され、もし日本人から更に開発の余地、あるいは西欧から学ぶものは何かと聞かれたら、外交官のみならず、一人一人がフランクに世界の人と堂々と対話ができる表現能力を身につけることであると言われたものでした。もしこのことが達成されるなら、三〇年~四〇年先の日本はもっと文化的・経済的にも世界に貢献できる偉大な発展をするでしょうと、旅行の折にふれ、時に応じて語られるのでした。このように緊張の中にも、有意義で楽しい旅行を続けましたが、いよいよお別れの時、先生は私に『人を動かす』の原書を一冊下されたのでした。
 
◇◇『人を動かす』、聖書、短剣一ふり◇◇
私は山梨県の山奥、五開村という寒村に生まれ、一〇歳の時に、男らしかった父は、嵐の日に崖から富士川へ落ちたケガがもとで亡くなりました。子ども心にも寂しさの余り自殺を考えた日もありましたが、優しい母親に父親のないのはお前一人だけでないのだと励まされ、学校は優等生で過ごしました。その後、現ス夕ンレー電気株式会社会長北野隆春先生には言葉にあらわせないほどお世話になり、働きながら学校を卒業しました。ちょうどカーネギー先生と出会いのあった頃です。将来米国に哲学し、もっと語学を勉強して世界の人に接してよりよい人間関係を学びたいと願っていましたので、まず、ホテルの仕事を選び、岐阜の長良川ホテルに勤務いたしました。しかしながら当時、若者は赤紙一枚で軍隊に応召されて行った時代でしたので、私はその後、好きな英語が少しでも使えて奉仕できればと思い、参謀本部付香港総督府嘱託として軍隊に志願しました。その結果『人を動かす』と聖書と短剣一ふりを携さえて、日本軍政下の香港に渡ることとなったのです。香港では、ぺニンシュラホテル及び関連会社の人事・総務・教育担当責任者に任命され、四三ヵ国の外国人従業員約一,〇〇〇人の管理をすることになりましたが、まだ若くて、経験の無い私でした。だが、私は必死になって『人を動かす』の九大原則(人間尊重のルール)を座右の銘として実行に移し管理につとめました。ある時は、外人に親切すぎると憲兵隊からにらまれたりしましたが、善意な人間関係に努力しました。終戦後無事に帰れたのも、カーネギー先生の偉大な感化力のおかげだと思っております。爆撃にあって何度も死線を越えましたが、香港に渡るに当って携えた3つのものを肌身から離すことはありませんでした。
 
◇◇カーネギー・コースに参加◇◇
ヒルトン・ホテルに勤務
終戦後、GHQ第八軍の通訳や秘書官等をして、戦前果たされなかった夢が実現し、アリゾナ州フィニックス大学に留学した時は三二歳でした。ついでミシガン州立大学商学部ホテル科を一九五四年に卒業、特別に移民局のビザを得て世界一のホテル・チェーン、ヒルトン・ホテル本郎、シカゴのパーマ・ハウスでマネジメント・トレーナーとして特訓を受けることになりました。ちょうど日本で東京ヒルトン・ホテルの建設計画が進められていた頃だったために、このことが幸いしたのでした。仕事も人事教育訓練部、PR、経理、フード・コントロール、セールスの各部を回り、丸三年間の間に大学四年分の何倍かに値するものを学ぶことができたわけです。特にアメリカの経営者の態度、考え方を彼等の行動から学びました。もしこの経験がなかったら、現在のデール・カーネギー・アンド・アソシエイツの教育提携事業は、苦しいものになったに違いありません。一方、このホテルで私は、はからずも生涯を決する仕事に入る糸口を与えられました。初めてデール・カーネギー・コースという教育機関があることを知ったのはこの時です。
 
とりつかれて〟カーネギー・コースへ
ある日、副社長のR・クエン氏に、どうしてヒルトンの幹部はこのようにすばらしいリーダーシップを持っていることができるのかを尋ねたところ、全員がカーネギー・コースの卒業生であると言い、次の話をしてくれました。「私はまだ若い頃、ニューヨークのルーズべルト・ホテルでルーム・クラークとして働いていた時に、もっと責任のある地位につくためには、自分に表現力の養成が必要であることを感じコースに参加しました。これは私の一生の転換期となり、昇進を早める原動力となりました。ルーズべルト・ホテルをヒルトンが買収して間もなく、世界一のヒルトン・ホテルの副社長兼総支配人に抜擢され、諸外国の王候・貴族、大統領、有数の実業家、世界の有名人と友だちになることができたのは、自分を素直に表現でき、潜在能力を発揮することができたからだと信じます」とのことでありました。
 
私はさっそくコースに参加する決意をいたしました。最初、シカゴ地区スポンサーのミセス・エバンスに会いましたが、彼女はまだ日本人で受講生はなく、英語はあなたにとっては外国語であるのでついてゆかれるか心配であると言いました。が、しかし最後には、それほど熱意があるならば、立派に卒業できるでしょうと入学許可となったわけです。クラスに出席して驚きました。偉そうな紳士ばかりが約四四名、すっかり圧倒され、逆に劣等感は探くなったようなありさまです。だが自己紹介の時は私だけでなく、すっかりあがってしまって自分の名前がどうしても思い出せない人がいたくらいです。私も何を言ったのか自分にも皆目わからなかったところ、第一講の講師、シカゴ銀行頭取ブラウン氏は「勇気ある日本人」とほめて下さいました。最初の四週間ぐらい、私はおそるおそるスピーチをしていましたが、第四講「魅力ある人になること」で進歩賞(全員投票で)のペンシルをもらって以来、このぶんなら卒業できるかもしれないと小さな自信がわいてきました。コースの半ばの第七講の頃は、クラス委員として日本レストランで〝すきやきパーティー〟を開くほど親しく交際できるようになり、自分の前に立ちはだかっていた、アメリカ人との壁は次第に破られてゆきました。一対一の人間としてつき合えるように自分が変っていったのは画期的なことでした。最終講では、このコースから最も多くのものを得た人への最高努力賞を与えられました。このコースでは、べストスピーチ賞より進歩に対する努力が高く評価されますので、私にとって大感激でした。ミセス・エバンスは喜んで「将来、万一日本でカーネギー・コースが開かれた時、あなたはカーネギーの大使として任命されるかもしれませんよ。立派なカーネギー・マンとして成功するのを楽しみにしています。本当にそうなったらすばらしいですね」と語られましたが、ニューヨーク本部にたいへん良い推薦状を書いて下さったことをあとで知り、感激を新にしました。カーネギー・ワークに入るきっかけをつくって下さつた恩人の一人です。
 
◇◇世界的規模をもつカーネギー・ワーク◇◇
◆カーネギー・ワークの成立
一九五五年、カーネギー氏が亡くなる前後から、カーネギー夫人はあらゆる困難を排して、全米から教え子の有力なリーダーを起用し、世異的企業としての基礎をつくりあげました。カーネギー精神の理想の火は安定した発展を遂げ、現在、通信教育を除いては最大の教育機関として認められています。私にも一九六二年に、今までの専門職をすてて新しくカーネギー・ワークをスタートしようという決意と機会が訪れました。当時、ハワイのスポンサー、J・E・フィットロー氏は、前々から日本の経営権を持っていたので、何とか準スポンサーを探してその権限を委せる人を探していました。フィットロー氏も心の広い、カーネギー先生のような方で、この方となら是非仕事をしたいということとなりました。文字通り信頼のうえに成り立ったパートナーシップは、今まで一度も裏切られたことはありません。
 
カーネギー・アンド・アソシエイツの設立
当時日本でも貿易の自由化が始まリ、外資系企業が次第に進出し、そろそろ国際的産業人育成という言葉が出初めました。交通機関は世界を一つにしつつある時ですので、私は出来得る限りの紹介を得て、名界指導者にカーネギー・コースの可否を聞いて回りましたが、可能性はちょうど50%に割れました。東洋と欧米では長年の歴史から、ものの考え方、表現方法にも全然異なる点があり、果たしてアメリカで起こった教育方法が日本人に受け入れられるかどうかという意見がありました。ミシガン大学同窓生の親友、当時の在日アメリカ商工会譲所会長のA・L・バーリッジ氏は「もしこれが成功したら、日本人の革新的な発想転換になり、外人とのビジネス・リレーシヨンもオープン・マインドに行なわれ、人間関係もスムーズになり、すばらしいことが起こる」といって激励し、自分の会社からもさっそく受講生を送りこんでくれました。日本生産性本部の郷司浩平先生、経団連の花村仁八郎先生、青山学院大学の大木金次郎先生、一橋大学の久武雅夫先生他、多くの方から積極的な精神的御支援をいただき、心から感謝いたしました。なかなか、苦しい思いもしましたが、一九六三年一月、ニューヨーク本部からインストラクター・トレーナーを招聘し、東商ビル会議室で、束京第一クラスが38名でスター卜しました。引続き特別のインストラクター・トレーニング・コースが編成され、四名の方が国際的ライセンスを手にされて以来一二年間、いまだに二名の講師は継続的な熱意を持ち続けており、現在二六名の講師が、世界本部の教育部に直属しています。最初、全部英語のみで行なわれましたが、テキス卜類はすべて講師の手で注意深く訳されています。英語クラスは特に各国の人種が混り、国際色豊かです。教授法は特許になっており、世界中言葉は異なっても同じテキス卜と同じ教授法で行なわれ、年一回の再訓練会議を通じ、常に時代に合わせた改善がなされています。カーネギー・インストラクターは、約二五,〇〇〇人の卒業生の中から、試され、選び抜かれた方にのみに与えられますが、まず人格的にすぐれていることが根本です。厳しい試験にパスして本部とライセンス契約を結びますが、たとえば、絶対他では同じような事を教えることはできないようになっています。ニューヨーク本部の調査によると、日本ほど講師が長い間継続的に教えている地区は珍しいとのことであり、かつての米ジョンソン大統領も一時期、カーネギーの講師をテキサスで行なっていたこともあります。卒業生の中には、ケネディ元大統領も含まれています。
 
ラジュエイ卜・アシスタント
受講生に勇気と自信、及び積極性を与え、より幸福な人生を目ざすようになることに限りない喜びと生きがいを見い出し、この仕事に携っている集団の中で、ユニークな存在は、研究助手制度です。私どもはグラジュエイト・アシス夕ントの頭文字をとって、GAと呼んでいます。クラス卒業前に、次のクラスの講師の助手をして下さるのにふさわしい方が四名選出されます。世界的方針として、この方々には無料奉仕で経済的な報酬は少しもありません。GAの喜びは、受講生が、何とか難関をのりきる手助けをすることの喜びです。ときには受講生に激励の手紙を送ったり、電話をしたりして、講師を側面から助けます。私はクラスの成功はGAの力によると思っているほどです。しかし希望者が多く出て、調整に困るという、うれしい悲鳴をあげることもあります。カーネギー・コースはGA、講師、スポンサーともこの奉仕の精神が基本となっています。第一回目を除いて、講師は普通二~三年のGAの期間を過ごした人の中から選ばれ、立派に成長をとげてゆきます。
 
◇◇熱意について◇◇
教育の目的は行動力にある
正直申しまして、私はこの仕事は天から与えられた仕事だと信じて夢中になっています。自分ではそうも思いませんが、家内に言わせると「カーネギーの話しかしない幸せな男」ということです。真の教育というものは、手間がかかっても、一人一人の人間を育てあげ、あたかも池に投げた石の波紋が静かに広がるように良い影響を周りに与えてゆくことだと思います。およそ七~八年前に草柳大蔵先生が、コースのことを評して「昭和の寺小屋」と雑誌にお書きになりましたが、私はその表現にいたく感激し、満足しております。前述したような教育方法をとっているため、急激に規模を大きくできないのでクラスと受講生の数も限って、小さくても価値のあるダイアモンドのような仕事をしたいと思っています。カーネギーのすべてのプログラムをつらぬくバックボーンの精神は、態度がまず大切であるということです。オープン・マインドで人に接する態度、もうひとつは、相互信頼のうえにたった人間尊重の態度です。そしてそのことを、勇気と熟意をもって実行する行動力です。私どもはイギリスのすぐれた哲学者、H・スペンサーのいった「教育の偉大な目的は知識ではなく行動である」と言うことを信じており、カーネギー・コースが果たして日本で成功したか否かは、たったひとつの成果――卒業生の行動――にあることをよく知っているつもりです。
 
人生の一転期に
コースを終るにあたってカーネギー先生のお別れのメッセージが、テキスト・ブックの最後にあります。――「あなたは過去数ヵ月間、他の人々とより以上に調和を保ってゆく能力をつちかってまいりました。仕事のうえで、社交上での面接や多勢の人の前で、何のためらいもなく話すことを学びました。記憶力を増進し、自信、落着き及びリーダシップの能力を養成しました。あなたの学ばれたルールや、体得した習慣を常に実行することにより、もっと成長を続け、よりいっそう幸福な、充実した、満ち足りた人生を送られるようおすすめいたします。あなたが何時の日か、このコースをふり返ってみて、ご自分の生涯のある転換期であったと思われますよう願ってやみません。さようなら! ご幸運を祈ります。」カーネギー・コースは、決してアカデミックではありません。医師を信頼して薬を飲む患者の気持と共通するものがあります。
 

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