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History

1912年、自己啓発力に対する一人の男の信念に基づいてデール・カーネギーが創立されて以来、90か国以上に支部を展開するグローバルな能力開発企業へと成長してまいりました。企業におけるチームのパフォーマンスを向上させることにより企業の業績を上げることに焦点を当てています。
1世紀以上にわたり実証されてきた弊社の伝統、仕事、原則に誇りを持っております。

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デール・カーネギーは1888年、ミズーリ州メリービルで、貧しい農家の父、ジェームス・ウィリアム・カーネギー(1852年2月インディアナ州生まれ、1910年までは生存)と、母、アマンダ・エリザベス・ハービソン(1858年2月ミズーリ州生まれ、1910年までは生存)の間の次男として生まれた。カーネギーがまだ幼い頃、一家はミズーリ州ベルトンへ移住した。10代のカーネギーは、毎朝4時に起きて両親が所有する牛の乳搾りをしながら、 ウォーレンバーグ州立教員養成大学で教育を受けた。大学を卒業後、最初に就いた仕事は、牧場主に通信教育を販売する仕事であった。その後、Armour & Companyにてベーコン、石鹸およびラードの販売を手掛け、ネブラスカ州、南オマハの販売担当として同社の国内リーダーとなるまで成功した。[1]
 貯金が500ドル(現在の価値にしておよそ1万2,300ドル)に達した1911年、 デール・カーネギーは講演会(シャトークア)の講師になるという長年の夢を叶えるために販売職を退職した。そして、ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学し、その上、原題:Polly of the Circusの巡回興行でハートレイ牧師を演じたとの記述はあるものの[2]、役者としてはまったくといっていいほど日の目を見なかった。興行が終わると、カーネギーは無職のほぼ一文無しの状態でニューヨークへ戻り、125丁目のYMCAを住まいとした。そこで、スピーチを教えるという構想を抱き、クラスを受け持たせてもらう見返りとして純利益の80%を渡すと言って、「Y」というマネージャーを説得したという。
 最初のクラスでは教材に事欠いた。カーネギーは即興で「何が自分を怒らせるか」について話すよう生徒たちに提案したとき、それによって話し手は公衆の面前で話すことを恐れなくなるという発見をした。[3] この1912年の初講義から、デール・カーネギーのコースは徐々に進化を遂げた。カーネギーは、極普通のアメリカ人の、もっと自分に自信を持ちたいという願望に応える形で、1914年までには、500ドル (現在の価値にしておよそ1万1,500ドル) を毎週稼ぎ出した。
 おそらくカーネギーのマーケティング戦略でもっとも成功したもののひとつは、アンドリュー・カーネギー(カーネギー本人とは親戚関係にない)が広く知られ尊敬を集める当時、「Carnagey」から「Carnegie」へと名前の綴りを変更したことだろう。1916年までには、デール・カーネギーは、講義会場のカーネギーホールを満員にできた。[4]
 カーネギーの最初の著作は、後に『Public Speaking and Influencing Men in Business』(1932年)と改題された『Public Speaking: a Practical Course for Business Men』(1926年)であった。しかしながら、カーネギーの名声が最高潮に達したのは、なんといっても1936年、Simon & Schusterから『人を動かす』が出版されたときであろう。同書は、発売と同時にベストセラーとなり[5]、数ヶ月のうちに17版が刷られた。[4] カーネギーが息を引き取るまでには、31言語に訳され、500万部を売り上げた。また、デール・カーネギー学院の修了生は45万名にのぼった。[6] 『人を動かす』の中でカーネギーは、当時の社会人向け教育において、15万件以上のスピーチを評論したとしている。[7] 第一次世界大戦では、米国陸軍に従軍した。[8]
 カーネギーの最初の結婚は、1931年に破綻した。1944年11月5日には、オクラホマ州タルサでドロシー・プライス・ヴァンダプールと再婚するも、その後離婚している。ヴァンダプールは、彼女の最初の結婚で娘ローズマリー、カーネギーとの結婚でドナ・デールの2人の娘をもうけている。
 カーネギーは、ニューヨークのフォレストヒルの自宅で息を引き取った。[9] ミズーリ州カス郡ベルトンの墓地に埋葬されている。Dale Carnegie & Associates, Inc. 出版の公式の伝記によれば、カーネギーはホジキン病で尿毒症を併発し、1955年11月1日に死亡した。[10]

人を動かす

1936年出版の『人を動かす 』(原題:How to Win Friends and Influence Peoples)は現在でもなおも支持されるビジネスおよびビジネスコミュニケーションのスキルに関する著作である。デール・カーネギーが著した4部構成の同書は、ビジネスならびに人生において成功するためのアドバイスが詰まっている。『人を動かす』は、デール・カーネギー・トレーニングにてツールとして使用されており、以下の4部が含まれる。
1. 第1部:人を動かす三原則

2. 第2部:人に好かれる六原則

3. 第3部:人を説得する十二原則

4. 第4部:人を変える九原則

デール・カーネギー・トレーニング

デール・カーネギー・コースは、デール・カーネギーのテクニックに基づき、効果的な話し方と人間関係について実践的に学ぶプログラムである。1912年の発足以来、90カ国以上で開催され、900万人以上がコースを修了している。 コースでは、対人スキルを強化し、ストレスを管理、そして急速に変化する職場環境に対処するために、チームダイナミクスとグループ活動を軸とする独自のプロセスが用いられる。その他のテーマには、コミュニケーション、建設的な問題解決、リーダーシップなどがある。 コースは、以下の5段階の継続的な向上サイクルに基づく。
1. 自信の構築

2. ピープルスキル(人間関係)

3. コミュニケーションスキル

4. リーダーシップスキル

5. 悩み・ストレスのコトロール

出典:
  1. 日本国際観光局メモおよび通信文書類
  2. 同書に
  3. 同書に
  4. Ibid
  5. 同書に
  6. 創元社 代表取締役 矢部敬一、2011年7月
  7. Management Guide (マネージメント ガイド) 雑誌, p.60
  8. 同書に
  9. 同書に
  10. ヴィヴィアン・ケンリックによるジャパンタイムズ紙のフランク・望月プロフィール記事, 1989年10月7日

 

 

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