ベテランならではの危険
時折、自信満々のプレゼンターが大失態を演じることがあります。頻繁には起こりませんが、起こった時の印象は鮮明です。元々才能がなくて失態を演じるのなら話は分かります。しかし、有能なプレゼンターは失敗すべきではありません。失態を演じたとしたら、その理由は何だったのでしょうか? 講演者のどこがいけなかったのでしょうか?
コメディアンも同じ問題を抱えています。ジョークに誰ひとり笑わず、あるのはステージの上のマイクだけで隠れ蓑すらありません。ライトの下の演壇、ステージ、ひな壇に立つのはプレッシャーです。あなたが失態を演じたことが誰の目にも明らかになり、沈んだタイタニック号を引上げようと必死に努力すればするほど、すべてがますます馬鹿げて哀れに映ってしまいます。
今回の場合、事態が急激に悪い方向に向かっているとの認識さえありませんでした。最後の最後、もう手遅れという段階で、講演者は自分が大失態を演じたことに気づきました。まばらな拍手がそのことを物語っていました。質問が出なかったことが決定打でした。自らの愚かさによって講演全体が台無しになりました。
問題は聞き手を誤解したことと傲慢さにありました。聞き手は優れた内容という大宣伝に釣られて集まっていましたが、謳い文句通りの内容ではなかったので、聞き手はすぐにギャップに気づきました。答えを求めて参加したのですが 、答えは存在せず、聞き手もそれを知っていました。
講演者には実績があり、それによってプレゼンテーションの内容が正当化されると考えたところに、傲慢さが表れていました。私たちはビジネスに携わってきた年数を強調する時、素晴らしい実績と結びつけて信頼を得ようとします。例えば、「時間という試練に耐えてきた」などです。この講演者はきちんとプレゼンテーションの準備をしていませんでした。自分の講演者としての力量を過信した余り、「やっつけ仕事」になっていました。自分は話が上手でプレゼンターとしても有能であり、自分の実績があれば問題ないと考えていました。唯一の問題は、話の内容がつまらなかったことです。
ベテランであることは一長一短です。何年にもわたって維持されてきた実績は、聞き手にとって信頼できるものです。唯一の懸念は、内容が全て時代遅れに見えるおそれがあることです。私たちは、常に新しくて最も素晴らしい最新、最良のものを目の当たりにしています。ビジネスの流行本は次々に出版されます。古い本は片付けられ、静かに消えていきます。古き良き時代について話をするとき、実際に経験した自分は懐かしく思いますが、聞き手は自分に関連することにしか興味を持ちません。フレッシュで新しく、かつ現在のビジネスの現実と結び付いた内容にする技量を持つことが必要です。
この講演者はその点で失敗しました。傲慢と言いましたが、悪いのはそこです。自分の実績に対するプライドが邪魔をして、他の人にとってはどうでもいいことだという事実に気づきません。人間は思い出に浸るのが好きですが、それがどうしたと言うわけです。人間は傲慢にも自分がしたことは重要だったと考えがちです。間違いです。聞き手が抱える現在の問題との関連性はどこにあるのか? その関連性を見つけなければなりません。過去の成功は将来の準備に役立ちます。過去の失敗も将来の準備に役立ちます。
これこそスピーチのプレゼンテーションに必要なスキルです。聞き手のニーズを適切に理解して、自分が話したいことはさておき、聞き手が知りたいことに注力することが私たちの仕事です。そのバランスがうまく取れないと時代遅れに映ります。今回の講演者が犯した過ちです。彼は過去の栄光や実績を輝かしく並べたてましたが、聞き手が抱える現在の懸念に触れることはありませんでした。
私も年を取ってきているので、古き良き時代について長々と話したくなった時に備えて、してはいけないことについて今回の講演で沢山メモを取りました。誰もがその誘惑に抵抗すべきだと思います。
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