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デール・カーネギーの軌跡と実績

デール・カーネギーの軌跡と実績

デール・カーネギー・トレーニングは1912年、ニューヨークのYMCAの夜間学校で、話し方教室として始まりました。
デール・カーネギーは、多くの人に話し方を教えているうちに、受講生が様々な問題をかかえていることに気づきました。それは、単なる話し方だけではなく、友人の作り方、他者に影響を与える能力、自らの意欲の高め方など、多岐に渡っていました。

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デール・カーネギーは受講生のかかえている問題の解決に真摯に取り組み、教室の中でのやり取りを通じて、彼らの求めるものを追求し、また過去の文献を読みあさっては、その回答を探し、集めていきました。
その集大成が「人を動かす」「道は開ける」という本です。

それ以降、デール・カーネギー・トレーニングは、時代の変化に応じて改良を加えられてきましたが、本質は変わっていません。話し方を教えることをベースとしながら、社会人が必要としている問題解決のためのスキルを習得してもらうためのトレーニングとして、スタートから1世紀以上たった現在まで、900万人以上の修了者を送り出しています。

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世界有数の実業家
ウォーレン・バフェット氏も受講

伝説の投資家であり、当社最大のファンのひとりであるウォーレン・バフェット氏は、アメリカCBSテレビのインタビューで、「デール・カーネギー・コースが自分の人生を変えた。」と話しています。若いころ人前で話すことが苦手だった彼は、デール・カーネギー・トレーニングに通い、自信をつけ、おかげで結婚までできたと言っています。バフェット氏のオフィスには、デール・カーネギー・コースの修了証が飾られています。

デール・カーネギーって
どんな人?

デール・カーネギーは1888年、ミズーリ州の貧しい農家に生まれました。10代の彼は、毎朝4時に起きて両親が所有する牛の乳搾りをし、長い道のりを歩いて学校まで通いました。大学に通うようになってからも、まわりの友人が着ている服に比べて自分のものが見劣りするために、恥ずかしく感じたものでした。

大学を卒業後は優秀なセールスマンとして成功しますが、役者になるという夢をあきらめきれず、ニューヨークへ移り住みます。そこで、アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学しますが、役者になる難しさを目の当たりにします。

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重大な岐路に立った彼は、もともと教師を志していたこともあったので、夜間学校の社会人向けクラスで教えながら、昼間は好きな読書や小説を書いて過ごすことを決断します。自分が受けた授業を思い起こし、何よりも仕事に役に立ったのが話し方の修練だったので、彼はニューヨーク市125番街にあるYMCAで社会人向けに「話し方教室」を始めました。それは、日本がオリンピックに初参加したストックホルムオリンピックが開催された1912年のことです。

彼は、多くの人に話し方を教えているうちに、受講生が様々な問題をかかえていることに気づきました。それは、単なる話し方だけではなく、友人の作り方、他者に影響を与える能力、自らの意欲の高め方など、多岐に渡っていました。彼は24年以上に及ぶ研究を重ね、その中で自身の受講生に悩みの解消法に関する原則をいくつか与え、その原則を実生活の中で応用してもらい、得られた結果をクラスで話し合うという試みを繰り返し行いました。そこから確立された原則が、デール・カーネギー・トレーニングの基礎となっています。

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1936年、30の人間関係の原則を紹介した書籍「人を動かす」が出版されました。またたく間にベストセラーとなり、デール・カーネギーを世界的に有名にしました。デール・カーネギーは1955年に他界しますが、その後も妻のドロシー・カーネギーが彼の遺志を継ぎ、彼が開発したトレーニングは現在も世界中で行われています。

デール・カーネギー・トレーニングは100年以上の歴史があり、ここ日本でも1963年の開始から50年以上も継続しています。その内容はまったく色褪せることなく、現代を生きる私たちにとっても依然価値のあるものであり続けています。

1939年、来日した際の横浜での映像

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